アスパラガス日記

アスパラガスは根を育てるもの。明日に向けて自分の根を育てていく今日でありたい。今考えていることをブログに。

離人感を消したいために、絵を描くのにはまっている。

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お絵かきするのが好きです。

コピー用紙(B5)に毎日1枚か2枚絵を描いて1人楽しんでいます。

 

絵を描くといってもたいそうなものではなく、普通に子供が描くようなお絵かきです。落書きともいえます。ですが、それが何ともなく幸せな時間です。

 

私がもし早い段階で絵が上手かったならば、漫画家になっていた気がします。

もしくはイラストレーターです。もしくは絵本作家。

 

自分が思っている形を絵で視覚的に発信することができる世界感は素晴らしいと思います。言葉をしゃべらなくても人に何かを発信ができるコンテンツが好きです。そういう意味ではWebも好きです。

 

私がなぜ絵を描くのか?

この答えはいくつかありますが、1番は絵を描ければ、できることが増えるように感じるからです。それに関連してさらに言及すると、私の尊敬できる人に絵が上手な人が多かったからです。

 

自分が考えていることを具現化することは私にとってかなり難しいことです。たとえそれが文章であっても、言葉であってもです。私は自分の内と外の感覚が鈍いです。より正確には「私の内に私はいない、私の外にも私はいない」という感じです。人が見たら哲学的な意味なのか?と思うかもしれませんが、あえてカッコつけて哲学風に書いてみました。

 

簡潔かつ明確にいえば、離人感が私には常にあるのです。いわゆる離人症ってやつです。

 

離人感というものは他人からみれば、害があるようには見えないかもしれないですが、本人にとっては大きなウェイトを占めています。常に自分の離人感について考えている毎日です。私にとっての離人症の期間は生きているはずなのに生きていないかのような期間です。

 

 

少々話がずれたので、再びお絵かきの話に戻します。いや中々戻らないかもしれません。

 

なぜ私が絵を描くことを始めたかというと、内で考えたことを外にアウトプットをし、目で見るという行為が私の中の内と外を通じさせる鍵になる気がしているからです。

 

ちなみに私が表現する「内」というのは自分が考えていること、つまりは「頭」のことで、「外」というのは自分の行動、つまりは「手」や「足」などです。

 

リンク率が悪いことは他でもなく離人感に支配されているからです。

 

例えば、歩いている私に「私が歩いている」という感覚はあまりありません。動いているのにとまっている感覚です。私も歩いているし、周りも歩いている、だけど私の中だけは止まっている。心と体が上手くリンクされていない状態です。私以外の人から見れば私は歩いている。でも私自身(心)に歩いている感覚はないです。

 

内と外のリンクが上手くいかないことは日常生活に支障をきたす

離人感が強いときの状態では日常生活に大きな支障を生じさせます。

例えば車の運転。これはまったくできないです。一応免許は持っていますが、調子の良いとき以外乗らないようにしています。乗りたいときに乗れないということが多いので、初めから車は乗れないものという意識でいます。ちなみに、仮免の段階で合格までに4回受けています。筆記は1回でどうにか受かったのですが、実技はまったくダメです。

 

他にも例えば歩いていると、前後の記憶が薄れ、気づいたらこんな場所に!?なんてこともあります。確かにそこに向かったはずなのに、歩いている途中で離人感が強くなり、体は動いている、でも頭は機能停止みたいになって、途中の経路の記憶がないからこうなるようです。ただ歩くだけがつらいので、用があるとき以外だいたい家にいます。新しい場所、行ったことのない場所が苦手なので、行動範囲は狭いです。行って戻ってこられなくなりそうで怖いからです。

 

内と外のリンク率を高める訓練

離人感により失われたリンク率を高めるための訓練というのは離人感を理解できない人には到底理解できるものではないと思います。私がやっていることは特別なことではありません。ほとんどは日常や趣味の範囲の行動において、そこにリンク率を高めるという訓練的な側面の意味合いを持たせているということだけです。

 

1.文章を書くこと

私は話すことよりも、文章を書いて自分が考えていることをアウトプットして、自分の目で見える形にするという行為が合っているので、そういう形で心と体のリンク率が高まるようにしています。なので、ブログもその一環ですかね。

 

2.話すこと

話しをすることは私にとってかなり困難なことです。私にはただ外で声を出すこともできなかったときが長く続いていました。今は少しだけ練習をすることでできるようになりました。でも状態によっては声すら出せなくて、へこみます、沈みます。

私の練習の仕方は単純に語学を学び、声を出すことです。一人での発音練習、または複数での場で声を出すこと、会話練習することで自分の考えが声を通して外に出せるようにする練習としています。普通の人にとってはただの語学における会話練習です。私には第一目的が離人感の克服です。私にとって言葉(自分の声)が相手に伝わっている(聞こえている)と思うだけで特別嬉しいのです。

 

3.歩くこと

離人感が強いと外に出るのさえ苦しいことなのですが、そんなときでも歩くことが必要かもしれないと思うきっかけが過去にあったので、それ以来はただ歩くという練習をしています。できるだけ新しい自分が行ったことのない場所で、スマホGPSを活用したマップを利用することで、そのとき自分がどこにいるのか、それを確認しながら歩いています。歩いている途中の記憶が薄れるので、それを目を使ってマップで確認していくということが、ちゃんと自分が目的の場所まで歩けていけているということの証明になる気がするので、それを確認する作業をしています。自分が自分で歩いた道がわからなくなるという迷子状態が避けられるGPSの活躍は大きいです。

 

 

このほかにも、「面白いものをみて笑うこと」や「好きなものを食べておいしいと思う」ことなどですかね。

調子が悪いときというのは笑うことや、ごはんを食べておいしいと思うことさえできないものだからです。

 

絵を描くことも1つの訓練

私にとっては絵を描くことでできるようになるかもしれないことというのは、離人感が弱くなりできることが増えるかもしれないという部分があります。車に乗れるかもしれないし、普通に歩けるかもしれないです。絵を描くことでただ上手くなれること以外の期待値があるということで絵を描くことが楽しいです。

 

話すこと、文章を書くこととは少し違いますね。

 

お絵かきは楽しい、絵を描くことは苦手ですが、癒される部分がある。中学の頃美術で絵を描かなければいけなかったのはとてもつらかったけど、自由に評価されずに描くというのは楽しいです。ちなみに成績はずっと2でした。

 

最後に

長期間の離人症というのは原因に気づくこともできなく、訓練・練習で治すどうこうの話ではない期間というのが私にはありました。そんな私が伝えられるただ一つのことは、軽めの離人感というのは決して特別の物ではないということです。仕事の疲れから、普段できている家事ができなくなったり、人に対して当たってしまうなどのちょっとしたことも、心身の疲れの現れです。そんな自分が疲れているということを自覚していられるうちに休むことが必要だと思います。でなければ、重度の離人症を発症するかもしれません。少しの休息を行うことで調子が戻る離人感であれば、ちゃんと休息することで治る可能性が高いです。

 

しかしながら、重度の離人感をまとった状態では何もできないといっても過言ではありません。それこそ治すことも困難だと思います。

 

そんな状態にならないために、疲れを感じたときには休息をすること、特に自分が苦手なこと、ストレスがかかっていて疲れがたまっているときにはちゃんと休むようにした方が良いです。とはいっても休めない状況だからこそ、ストレスがたまり、疲れも積み重なるという状況が考えられます。しかし、そんなときでも休もうということを忘れないようにしてほしいです。

 

強いストレスは危険です。私もストレスがかかるときに離人感が強くなる傾向にあるからです。

 

息抜きのための趣味を持つことが非常に重要だと今は感じています。

私にはその一つがお絵かきです。簡単なイラストを描くだけで和みます。

 

でもやっぱり、絵は絵でちゃんと上手くなりたいです!デザインが自分でできるようになったらなおよしです。いつか人をハッピーにできるそんな絵を描けるように続けたいです!

 

おわり。